素顔

短編集 | さくらのみや

  素顔  

 その人を初めて目にしたのは、その年のクラス発表が終わって、自分の教室に入った、まさにその時だった。
 その人は、教室の一番前の席のあたりで、何人かの友達と話をしていたようだった。
 だが、私には、そんなまわりのことなんて何一つ見えていなかった。
 その人はそれほどに素敵な人だった。

(あれが運命的な出会いというものかしら……)
と、私は、ずっと後々になって、その時のことを考えた。
 のちのちに彼の良さが見えてくるようにはなるものの、まだその時は、私の目には派手好きな、だけど強く見た者に印象を与える青年であった。 
 だが、私は、最初は彼のことを毛嫌いしていた。
 彼は容姿は美しかったから、クラスの中でも大半の女生徒が入れ込んでいたし、彼の周りには、常に近寄れないくらいの取り巻きがいた。
だから私みたいに静かな事を好む女から見れば
(一体、何をちゃらちゃらして、浮かれているんだか)
という軽い軽蔑を、むしろ彼には感じていたのだ。
 もう少し嫌な言い方をすれば、
(あんな尻の軽そうな女性とに囲まれて喜んで……)
という思いもあった。
 それにあの人も、クラスの中で、地味で存在感のない女の一人など、眼中になかっただろうから……。
(私には、一生縁もゆかりも無い人……)
 その程度が、私がその人に持っていた、最初の感想だった。

「今日も話したんだよ、彼って本当に話上手みたいね」
 昼休み、友人の里佳が、少し上気した表情で、本を読んでいる私の側に来て言う。彼女も、あの人の魅力に惑わされて、まとわりついている人間の一人だ。
 里佳からいろいろ聞かされるのは、これで何度の事になるだろうか?
 入学式以来の長い仲だし、一番の親友と言ってもいい。
 そういう贔屓目を除いて見たとしても、気立てのいい彼女だが(実際、彼女に近づきたい為に、何人かの男に私が声をかけられた事がある)軽はずみにいろんな男子生徒に入れ込む、この性格だけはなんとかならないの?と私は思う事がある。
 そんな彼女の側面を知らない男の子達は、いつも活発な子と思っているみたいだけど、私から見たら、単に軽いだけにしか見えない。
「えらく、入れ込んでいるのね?」
 私は、少し冷ややかに言った。彼女が新たな崇拝者を見つけるたびに言ってきた、いわば私の常套句だ。
 それを、彼女はいつも「あははは、いいじゃないの」と軽くいなすだった。
 いや、その時は、私はいつもの調子で言ったつもりだったけど、彼女はその言葉に何かを感じ取ったのだろうか?ふっと暗い表情を見せると、私に言った。
「……冷たい言い方だね……」
 そういうと、彼女は私の側を離れた。私には、わからなかった……。

 それからは、里佳と私は特に表面的には何も無かったけど、少なくとも私は、彼女に何かしら、罪悪感のようなものを感じていた。

 そんなある時のことだった。学校の帰り際、いつも一緒に学校から帰っている里佳が、
「今日は、ちょっと用事があるから」
 と言って、私に先に帰るように言った。
「たいした用事じゃ無いなら、待ってるけど」私は言う。なんとなく、そう言い出すしか仕方がなかった。
  でも、彼女は「いいよ」と軽く拒否した。
「帰るといっても、近くの駅までだし、駅からは別々の電車に乗るのだから……」
 だから待つほどじゃないよ、という意味で彼女は言ったらしい。
 その時になって、彼女の言いたかった事がなんとなくわかったので、私は彼女の申し出を承諾した。

 帰りの電車の中で、私はふと、寂しくなった。

 その翌日、学校で私に会うと、彼女は私を学校の屋上に誘った。まだ、屋上は風がきつい季節だった。
「どうして、こんなところに呼び出すの?」
 私は、聞かずにいられなかった。
「別に屋上に意味は無いんだけどね……」
  彼女は言う。そして、虚ろな表情のまま、階下を眺める。なんとなく歯切れが悪い。明るいのが身上の彼女にしては珍しい。
 私は、彼女の隣で、次の言葉を待った。言い出すにも何も言い出せず、また、言い出す機会でもないと思っていたから。
 不意に、彼女の右目から、涙が落ちた。
「私の泣いた顔見るのは……一人でいいからね」
 そういうと、彼女は私の胸の中で泣き出した。

 彼女は、私に、失恋をしたことを告げたのだった。その相手の名前までは聞くまでもなかった。
 彼女のために、私もまた泣き出しそうだった。

 そんなことがあってから、数日間、私はその時のことばかりを考えた。
 里佳は、彼に自分の思いを告げたところ、一言、
「君は、俺のどこが好きなんだ?」と聞いたそうだ。
 その返答に彼女はとっさに答えられず、
「いろいろあって、一言では言い切れないよ」と、言ったら、
 その返事が気に入らなかったのか、彼女はふられてしまったということだった。
 彼女は、彼のことを「それだけで、断るなんて……」と、あきらめきれないように何度も言っていた。
 確かに、冷たいようには見えた。

 それからしばらく後のことだった。
 学校からの帰り、少し混んだ電車の中で、いちゃつく高校生を白々しい表情で眺めながら、恋愛小説を読むのが、その頃の私の日課だった。
 小説の中の恋愛の姿が高尚だという気はないが、さりとて、公衆で羞恥のかけらもないさまを見せ付けるよりは、この方が清楚な気はする。
 その日も、電車に乗り込んで、小説をかばんから取り出そうとしたとき、不意に、例の「彼」から声をかけられたのだった。
 刹那に、私はどう反応していいかわからなかった。複雑な思いが一瞬頭をよぎる。
「家、こっちだったの?」 
 彼は、柔らかい口調で尋ねる。見た目も麗しいが、口調も滑らかだ。
 ふと、心を失いそうになった。
「あの……私に何か?」
 私は、なんとかそう口にした。
 その口調がいぶかしく映ったのだろうか?
「なんか、警戒してるように見えるなぁ」
「そんなこと……」
 ないです……という口調で答えたが、実はそんなことあったのだ。
 何故、今、私に声をかけたのか?なぜ、里佳を……。私が言いたいことはたくさんあったはずだった。
「ところで、君だけだね?僕に声かけないのは」
  彼のいう事が一瞬わからなくて、私は、戸惑った。その言い回しのなんと気障な言い回しなのかしら……とは、あとになって思った印象である。
「……私から人に話かけるのが苦手なので……」
「ふーん……」
  彼は、私の若干紅潮した顔を興味なげに見ながら、そんな返事をする。からかわれているようだ。心の中に、この場から逃げ出したい気持ちがよぎる。
「いつも、本読んでるんだね。好きなの?」
「……」
 私は何も言えなかった。どう答えたらいいのか、咄嗟に思い付かなかった。いつも本なんか読んで暗いと思われているのだろうか?
「まぁ……好きな事を、自由にやれるというのは、いい事だとは思うけど……」
 その言葉で、私は少しはっとすることがあった。一体何が言いたいんだろう?私は、彼の表情をちらと眺めた。なんとなく、堅い表情だった。
 この人でも緊張することなんてあるのだろうか?と思う。
「ところで……」
 と、不意に、彼が私に視線を戻して言う。
「何でしょう……?」
「うーん……今日じゃなくていいけど、いつか時間いただけないものかな?」
  少し遠慮がちに、困ったような表情を見せながら、彼が言った。

(どうしたものかしら……)
 電車の中で、一人、私はぼんやりと外の景色を見ながら考えた。
 もう、彼は途中の駅で降りて、私は電車に残されている。
「相談というか、聞いて欲しい事があるんだけど」
 そう言われたとき、私の胸は確かに高鳴った。いつも読んでいる恋愛小説ではないが、私も恋に憧れがないでもない。
 まさか、あの彼が私に……。
(そんなこと……あるはずないよね……)
 そう、私は考える。そうだ。「そんなこと」が間違ってもあろうはずがない。それに「そんなこと」になれば、里佳にどう接すればいいのか……。
 結局のところ、いくら考えても、私の答えは出ないのだった。
 その彼の相談というのは、電車の中でのことがあってから、1週間経った、その放課後だった。
 その日の昼休み、私は里佳と昼食を済ませたあと、図書室に本を返却に行こうと、教室を出た、その時だった。
 彼がその時を見計らったように、私に声をかけてきて「放課後に、時間がもらえないかな?」と言ってきた。
 さすがに里佳のいるところでは何も言ってこなかったところをみると、私に気を遣ったのかもしれない。
 放課後、私は、彼の言う通りに、屋上に向かった。あの、里佳が私にすがって泣いた場所だ。
 まだ、あの時の風景が心の中に残っているぶん、ここに来る事自体心苦しい。私が屋上に上がると、彼の方が先に来ていた。意外な感じがした。
 「来てくれて、ありがとう」 そう言って彼は軽く笑った。
 少し、私は心が動揺するのを覚えた。そんなことされたら、
 その時、私は、彼に言わないと、と心に決めていた事を危うく忘れそうになった。
 そして、私は、彼と話をすることが決まっていたことを、まず思い切って口にする。
「あの……なぜ、里佳を……?」
 そう、私は尋ねて見た。彼が怒るのでは?と、すごく怖い思いをした。
「あれは……」
 そう言って、彼は、視点を私から変えて、つぶやく。言いにくい理由でもあるのかしら……。
「どこが好きか理由のわからない人に、軽はずみな返事はできないから……」
「でも……」
「君は、人を好きになってから、理由を探すの?」
「……」
 そう言われては、私は何も言い返せなかった。否、咄嗟に言い返す言葉が無かった。
「……人気があるというのは、人気が無いのより辛い場合もあるもんだよ……」
 彼は、ふとそんなことを言った。
「あの子は……里佳さんと言ったかなぁ……。僕の人気に恋をしているみたいだった……」
 私は、彼の言う事を黙って聞いていた。
 里佳のことは多分、私が一番よく知っている。
 だから、彼が彼女のことをどう評価するか、それを聞いてみたかった。
「人気に?」
「僕の事を話上手って言ってたみたいだけど……」
 私は、その時になって、以前に里佳が言っていた事を思い出した。
「あ、人気に恋してるって言うのは変か……、そのなんて言うかなぁ……」
「偶像……」
「あ、そうか……偶像か……」
 彼は、私の言葉を反芻する。
「まわりから作られた像に恋をしてる、っていうのかな?ともかく、彼女が僕に対して、偏見と言うか……」
「……」 
 なるほど……と、私は考えた。
 結局のところ、彼自身も、彼のまわりにまとわりつく人気に振り回されていたのだ。
 私は里佳の側面ばかりを見切っていることで、今回の事を考えていたけど、彼の側面についてまでは考えていなかった。
 私は私で反省せざるを得なかった。
 思わず声を出して、私は嘲笑しそうになった。
「そういう偏見や像で見られると、結局そう振る舞わざるを得なくなる。辛いよ。どれだけ、自分の心のままに動けたらいいか……結局、これは今日、僕が君に相談したかった事でもあるんだけど……」
「私に?」 
自分のことで一杯だっただけに、彼からの相談が主題だったことを完全に忘れていた。
「あ、ごめんなさい……」
「いや、いいよ。答えがなんとなく出た気がするから……」
 そう言って彼は微笑みながら軽く手を振った。
 彼がどういう形で答えを得たのかわからないし、私からどんな答えを得ようとしたのかわからない。
 だけど、彼の表情がすでに答えを得たものであるのは明らかだった。 
 風がすっと通りぬける中で見たすがすがしい表情の彼は、
 クラスの誰もが見た事もない、なんともいえず美しい素顔だった。

佐倉純 著 / 掲載サイト:【さくらのみや

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